ローズマンブリッジ:思い出の場所
深夜の映画放送で、また「マディソン郡の橋」を見ました。何度も見た映画で、原作も読みました。これは有名な映画で、ご存知の方も多いと思います。
「マディソン郡の橋」では、散骨を通じて、お互い求めあいながら、今生では交じり合う事のなかった二人の人生が、死後、ローズマンブリッジのもとで一緒になるというストーリーです。
このお話しのポイントはやはり、散骨と「その場所への想い」だと思います。そういえば、「世界の中心で愛を叫ぶ」では想いを果たせず行けなかったオーストラリアの大地に亜紀の骨が散骨されました。大切な想いの強い場所、皆さんも一つくらいはお持ちではないでしょうか。 続きを読む
僕の死に方 エンディングダイアリー500日
金子哲雄 著
小学館
昨年流通ジャーナリストの金子哲雄さんが亡くなって刊行された「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」が話題になりました。金子さんが若くして亡くなった事、また、自分の葬儀やお墓の手配を自分で整えていた事が、終活や葬儀関連業界だけでなく、一般の人々に興味を持たれたようです。
金子さんの著作や、出演したテレビ番組などはほとんど見た事が無いので、生前の金子さんがどういう人なのかは知りませんでしたが、「僕の死に方」を読んでみると、その明快で優しい語り口と、ストレートな、迷いのない思考から聡明な人であることが良く解ります。 続きを読む
「子どもの喪失と悲しみを癒すガイド ― 生きること・失うこと」
リンダ・ゴールドマン著 天貝由美子訳
創元社
子供が、大切な人の死をどうとらえるのか、どのような反応を見せるのか、どのように死と向き合っていくのかは、大人のそれに比べても随分と複雑な問題です。
第一に、子供の死の認識はその発達段階により随分違います。幼稚園児なら死を何か「眠りのような物、一時的な物」としてとらえるかもしれませんし、小学生の低学年では「お化けのような恐ろしい物、でも自分には起らない」といった認識を持っているかもしれません。しかし、小学校も高学年になれば、その死の認識は私達のそれと大差はなくなってきます。
そして、その死と向き合う態度も、大人とは違います。小学生以上になると、喪失の悲しみは、非常にしばしば学校での問題行動、成績の低下、八つ当たり、強がりとして表現され、周りの大人たちは戸惑うことになります。
この本は、子供の喪失に焦点を当て、実際に周りの大人は、子供の喪失への悲しみをどのように理解し、どのように子供を支えればいいのかを解説した非常に実務的な入門書です。 続きを読む
年末に、遅ればせながら静岡でも「ラビット・ホール」の上映がありました。グリーフ・カウンセリング・センターの鈴木剛子先生に紹介された事、ニコール・キッドマン製作・主演、しかも以前ご紹介した、これもまた素晴らしい喪失に関する映画、「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」を監督主演したジョン・キャメロン・ミッチェルが監督、と期待していました。
この映画では、先ず、子供を亡くした親が、如何にすれ違い、傷つけあい、こう着しながら、その夫婦関係が「ゆっくりと死んでいく」辛さが心を打ちました。息子ダニーの思い出を胸に焼き付け、その思い出を大切に、何とか前に進もうと努力する父・ハウイー。面影から抜け出せずにいながら、同時にその面影に苦しめられ、息子の痕跡を拭い去ろうとするような母・ベッカ。
ベッカはどこを見てもダニーの面影を見る辛さに、洋服を処分し、持ち物を物置に片付け、家を磨き上げ、「指紋まで消し去ろうと」しているように見えます。 続きを読む
この本は死産を体験した井上文子、修一夫妻が第一子「和音」ちゃんを死産で亡くし、そしてその後、第二子、和音ちゃんを同じ病院で出産した経験を、井上夫妻、病院の長谷川充子師長の手記、や竹内正人医師を交えた座談会などを通して綴った本。死産をめぐる両親の体験や、現在の周産期の死をめぐる課題が解る、どちらかというと医療関係者向けの書籍です。
産婦人科医の竹内正人さんは産婦人科医として「救う」「助ける」で医療にかかわるうちに、「救えなかった子どもたちとその家族」に視線を移し、2006年、ホーリスティックな医療を行う「東峯ヒューマナイズドケアセンター・ラウンジクリニック」を開設。生まれた赤ちゃんの生死だけでなく、その生が父母の元に訪れたことが重要であり、赤ちゃんが亡くなっても父母である事には変わりがないという視点で医療に携わっています。 続きを読む