Mさんの死


数多いMさんのお気に入りの一つ。グランドハイアットエラワンのSpasso

今日はとても個人的な話を書こうと思う。

一昨年、私のとって友人であり、元上司であり、一種のメンター(良き指導者)だったMさんが亡くなった。その死を知ったのは昨年の事だったが、ひどいショックを受けた。

Mさんと初めて会ったのはもう20年前くらいになるだろうか。私がタイに住んでいたころ、大学の恩師に紹介されて知り合った。
とにかくおいしい物が好きで、旅行が好きで、話が合った。一時、上司、部下の関係であったこともあるが、私たちは食事の時になるとそんな関係を8割くらいは忘れて、楽しむことが出来た。当時、よく遅い時間にイタリアンやフレンチのフルコースをホテルでご馳走してくれた(当時の会社の人には申し訳ないが、経費だったに違いない)。私が「こんな時間にワイン飲みながら男二人でコース食べてたらゲイのカップルにしか見えませんよ」というと「フフフ」とか笑うような人だった。 続きを読む

家族との別れ:赤塚不二夫の死を考える


遺骨からダイヤモンドを製作するというような仕事をしているので、普通の人よりずいぶんと死を近く感じています。自分はどう死ぬのだろう、どのような形で家族と別れを告げるのだろう、と考えます。
こうであって欲しい、というささやかな「希望の死」の姿というものもあります。あと15年か20年後に、自分の死後の家族の生活をそう心配しないでよいような状態で病になり、できれば妻にお別れを言う時間をもらって死ぬ。まあ、それくらいの希望で、人様から「望みすぎだ」と言われるようなことはないでしょうが、考えてみるとこれは、殆どの人が漠然と「平均寿命位生きて、病院で死を迎える」と考えているのと同じことのようです。
しかし、実際私がお会いするダイヤモンドのご依頼者さんのお話を聞けば、この「ささやかな望み」もしばしば実現されない事がわかります。時に死は交通事故のような暴力的な形で訪れたり、健康で強靭な人があまりにも早く死を迎える事もあるのです。
仲の良い夫婦であればそうであるほど、この死による別離がずっと来なければいい、と感じるに違いありませんが、実際は愛するパートナーとの別離は人間の一生の中では避けられない事のようです。ほとんどの場合、必ずどちらかが遺される側になってしまうのです。 続きを読む

喪のジュエリー:ジェットジュエリーとヘアージュエリー


ビクトリア女王:黒いドレスにジェットの装飾が施されている

9月3日、私は勉強も兼ねて、数年ぶりにジャパンジュエリーフェアを見に行ってきました。そこで、ジェットジュエリーを展示しているブースを発見し、思わず立ち寄る事になりました。ジェットのジュエリーは博物館などで見たことはあるものの、手に取るのは初めて、初めて間近に見て、触れて、その重量感や質感を堪能する事になりました。

私が初めてジェットジュエリーの事を知ったのは、数年前に、講演のために「故人の体の一部を身に着ける」事の歴史的な変遷を調べていた時の事でした。
ジェットは日本では黒玉と呼ばれるもので、地中深くに堆積した植物が化石化したもので、それは軽く、あくまで濃い漆黒の黒い宝石。質感はメノウや象牙をイメージしていただくとよいでしょうか。ジェットは研磨により非常に美しい艶を持ち、またその艶が長持ちすることで知られています。 続きを読む

世界遺産ハルシュタット、装飾された頭蓋骨のある部屋


美しい世界遺産の街:ハルシュタット

7月23日の「世界ふしぎ発見」はオーストリア特集だったが、その中で世界遺産のハルシュタット(Hallstat)村が紹介されていた。少し前に私はウィーン葬儀博物館訪問記でこのユニークな博物館を紹介したが、その時、書こうかかくまいかと悩みつつ、文字数の関係で書かなかったのがこのハルシュタットの「骨の部屋」の事だ。 続きを読む

二人のアーティストと死:逝く者が遺すもの


保田春彦《白い風景(2)》 2004年 Photo:上野則宏

妻の遺作と生きる:保田春彦

日曜美術館で「彫刻家 保田春彦~生老病死のアトリエ~」を見た。保田晴彦は日本の代表的な彫刻家で、金属を使った大きな抽象モニュメント作品で知られていた。その保田の作品はイタリア人であり、美術家であった妻シルヴィアの死がきっかけに大きく変わる。木彫の「白い風景」シリーズはシルヴィア夫人と歩いたイタリアの建築をモチーフとしているが、同じアーティストの作品と気が付かないほど暖かく、保田の抽象彫刻にピンとこなかった私も気に入っている。
シルヴィアは保田とフランスで出会った。シルヴィア自身もアーティストであったが、結婚後、家族のことを第一に考え、創作の表舞台から退いたが、家事の合間をぬって、膨大な数のデッサンやコラージュを行っていた。これを保田はシルヴィアの死後発見し、影響を受けたという。それが、白い風景シリーズであり、その後始めた裸婦のデッサンシリーズでもある。
しかしシルヴィアさんの作品の中にブロンズ作品が数店あるのを見て、保田がシルヴィアさんが作品を製作していたことは知っていたと感じた。ブロンズは鋳物部分を外部に発注しないといけないので、知らずにいる事は難しいし、そこまで秘密に製作する必要もないのではないか。保田はシルヴィアさんの製作活動をうすうす知っていたが、特に興味を持っていなかったのではないか。ところが死後、非常に膨大な素晴らしいスケッチを発見して、シルヴィアさんが結婚生活中に犠牲にしてきた才能や、それに気が付かなかった自分と対峙したのではないかと感じた。保田は言う「シルヴィアには『あなたは人を描いても抽象をやる人の独特な直線で描くのね』と言われていた。今の私の作品を見たら『結構やるじゃない』と言ってくれるだろう。ざまを見ろ、と言いたいくらいだ。だから今、今の私の作品はシルヴィアとの共同作業だといえる。」保田は死者との対話の中で死者の作品に影響を受け続けている。
余談になるが保田さんは私が武蔵美時代に共通彫塑でお世話になったことがある。偏屈なおやじだと思ったが、今でもかなり偏屈だ。 続きを読む