NHK 旅のチカラ「“死”が与えてくれる力を探して ~高橋源一郎 イギリス~」
NHKの旅のチカラ「”死”が与えてくれる力を探して」を見ました。作家の高橋源一郎氏がイギリス、リーズにある子供ホスピス、「マーティン・ハウス」を訪ねます。
高橋さんは、数年前次男が急性脳症になった経験を持っています。子供が重病になり、医師から、死や、後遺症の危険があると宣告されるのを聞きながら、「全く意味が分からない」と感じていたそう。それでも、その事実を受け入れた時に、困難を受け入れて生きて行く力や喜びのようなものが体の中から湧き上がってくるような気がした、といいます。その力の源を知りたい、それが子供ホスピスに向かう大きな理由の一つとなったといいます。
マーティン・ハウスは25年前に設立され、イギリスでも古い子供のホスピスのうちの一つ。現在回復の見込みのない子供が340人ほど登録されており、通常は自宅で過ごしている重病の子供やその保護者が、一回に一週間くらい滞在します。子供ホスピスは、子供のための施設ではありますが、同時にその家族のための施設でもあります。親は介護から解放され、リラックスしたり、一緒に外食することが出来たり、病気を持たない兄弟とだけ、ゆっくりと時間を使ってあげることが出来るようになるのです。親もまた、困難な病気に立ち向かう気持ちをここで分かち合い、また、インスピレーションと勇気を持って自宅に戻って行くのです。
マーティン・ハウスは外観も中も病院、ホスピスというイメージはまったくなく、アットホームであたたかな雰囲気にあふれています。スタッフもバッジをつけていること以外は保護者と見分けがつかず、大きな家族が集まっているかのような雰囲気を持った場所です。子供の部屋、両親のための部屋、みんなで過ごせるサンルームや食堂でも、普通のちょっと大きな家と変わらない雰囲気を持っています。
ホスピスと言えば「死を待つ場所」というイメージが強いですから、子供を「ホスピス」に連れてくるのは時に難しさが伴います。考えたくない「現実」を受け入れてしまうことになるのではないか、と親は迷うのだと思います。それでもマーティン・ハウスは訪れてみれば、其の全てにおいてホスピスとは違っていた、保護者の一人はそう語っています。
「ここは死を待つ場所ではなく、豊かに生きる場所」、マーティン・ハウスとはそういう場所なのです。
マーティン・ハウスの中で、特異と言えるのがその死への対峙の仕方かもしれません。マーティン・ハウスでは時に子供が亡くなりますが、その取扱いにも、万全が期されています。
マーティン・ハウスのスタッフは、私をトーマスの部屋に招き入れ、彼が亡くなったことを教えてくれました。(中略)そして、わたしたちにトーマスを抱かせてくれました。それから、亡くなったら、死体がどんなふうに変化するかということも。それは、自然なことだから、少しも恐れることはないと。霊安室には、わたしたちが抱いて連れてゆきました。スタッフの人たちは、わたしたちが望めば、体を毎日洗ってあげることも、着替えをさせてあげることも、車椅子に乗せて外に散歩に連れていってあげることもできる、といいました。
さらに、登録している子供の多くが自宅で亡くなりますが、マーティン・ハウスでは、その子供たちを「連れて帰ってくる」ことも歓迎されています。リトル・ルームと呼ばれる亡くなった子供と親の部屋があり、葬儀まで、長ければ1週間も滞在することが出来るそうです。その間、家族は同じように難病の子供を持つ親の弔問を受け、一緒に葬儀の準備を行うこともできるのです。
マーティン・ハウスでは、多くの子供がその年齢にそぐわないと思える程の尊厳を持って自らの死に対峙していきました。その数、設立以来1000人を超えています。
高橋さんは、子供を亡くした母との対話の中で、マーティン・ハウスについて、この様に語っています。
悲しみや痛みは人をくじけさせ、力を失わせることも多いが、それにより世界にやさしくなれたり、大きな喜びを感じたりすることもできるのではないか。死者の死は、その生を遺された者に語らせるためにあり、それによって「自分のために悲しみをとっておくのではなく、その悲しみが遠くから他者にプラスの影響を与える」ことになるのではないか。マーティン・ハウスは死を「生きているものに良い影響を与えるもの」にできる場所だ。死をテーマにした文学や芸術が悲しむためのものではなく、生きるものがよりよく生きるためのものであるように。(管理人要約)
日本でも子供ホスピスの設立が求められています。医療を離れたマーティン・ハウスのような施設ができるのはいつのことなのでしょうか。
コメントを残す