盛岡一高でのイベント:まだまだ「がんばれ」は早すぎる
4月19日、私はGCCの鈴木剛子先生、麗澤大学の水野治太郎名誉教授、GCCの卒業生や現役生徒と共に盛岡を訪れました。20日に行われる、岩手医大の智田文徳医師が主催する「精神科医によるリラクゼーション・ワーク体験」のファシリテーターを務めるためです。新幹線はまだ動いておらず、羽田から花巻空港に飛んでから、バスで盛岡にたどり着きました。
東日本大震災の後、グリーフカウンセラーとして何かできることはないかと考えていましたが、なかなか単身乗り込んで役に立つものでもなく、悶々としていたところに鈴木先生から声をかけて頂いて、渡りに船と参加することになりました。
到着当日、19日の夜は、盛岡市医師会主催のメンタルヘルス研究会が開かれ、智田医師は「震災ストレスにとも開ぬ精神疾患とその治療」、鈴木先生が「トラウマ、喪失、意味の探求:新しいグリーフの視点から」という題で講演を行いました。余談になりますが鈴木先生が、グリーフのモデルに、ストローブの「二極プロセスモデル」を使っていたので少々びっくり。現役で教わっていた時には、最後の方で軽く流していた理論なのに…
20日、当日。私たちはその日の朝に到着したメンバーも含め、12人で盛岡一高に向いました。
盛岡一高は名前からわかるかもしれませんが、旧制盛岡中学で、岩手県下No.1の進学校でもあり、生徒は岩手各地から集まって来ています。遠方からの入学者も多く、そういった生徒は寮生活をしているという事です。後から聞いた説明では、今回ワークをする1年生280名のうち沿岸部からきている8名が被災(家が流される、近い親戚が亡くなる)したという事でした。体育館に入ってきた生徒たちは1年生でまだ子供っぽく、しかもまだ入学5日目、という事で非常に緊張している様子。
今回のプログラムは、(1)智田医師が昨日のPTSDの話を高校生向けに解説、(2)セルフ・リラクセーション(肩の緩め)(3)呼吸法によるリラクゼーションと続き、最後が(4)絆の体験、という次第。絆の体験、というのは背中を密着させて座り、お互いが頭の中にイメージした数字(1から5まで)をあてっこする、というものです。「相手の気持ちを知るのは難しいが、相手を分かろうとすることは出来る」、という事を学んでもらうのが目的です。私個人的には、優しく触れ合う事のない男子生徒同士に触れ合う快適さ、気持ちよさを感じてもらったらいいかな、と思っていました。
そして今日のプログラムについて4人一組のグループで話をする、分かち合いを行いました。私の担当のグループは男子生徒12人で、恥ずかしいんだか、「おもしろかったで~す」という感じでどうも箸にも棒にも引っかからない。「体が触れるのって、どう?」って聞いても恥ずかしいらしい。
と、そうこうしているうちに二人の生徒がほかのグループで泣き出してしまった。最終的には鈴木先生と水野先生に、保健室で小一時間カウンセリングをやって頂き、事なきを得ましたが…。伺うと、二人とも被災者で非常につらい思いをしていた、この一か月頑張って、頑張ってきたけれでも、被災地は周り全てが被災者なので頑張れたが、盛岡に来たらそうではない。ほかの人は「日常」を送っている、そんな環境で、初めて「表現することを許されて」、殻が割れて、中の悲しみがもう止めども無い程出てきてしまったらしい。
そして、入学5日目の新しい学校の同級生と先生は自分が被災したことを知っているはずだが、あえて「何事もなかったように接してくれる」と。そして、それはかえってつらい事なんだ、というようなことも話が出たようです。本当は「大変だったね」と言ってほしいんですね。
最初にこのプログラムを見たときに、正直少々つまらないというか、軽いイベントでどうにもなぁ、という気がありました。こちらとしては、もう少し本格的に掘り下げて行きたい、という気持ちもあったのですが、やはり学校というのは安全第一、という事で当たり障りのない(侵襲度が低い、と言うそうです)プログラムにしてくれ、という事でこのプログラムになった、といういきさつがあります。ところが、この「さらっ」と表面をなでるようなプログラムでも、これだけ大きな反応があり、敏感な世代の生徒がこういった反応を示すところを見て、本当にびっくりしました。
一つは、被災者がどれだけ「パンパンに」張りつめた状態にあるのか、という事に改めて気づかされました。震災後一か月、当初のパニックが引くと本当の喪失が見えてくる。2次災害も見えてくる。家族全員が被災者の時、どうしても家族内のバランスも崩れて、往々にして子供が一番頑張ってしまうのかもしれません。盛岡一高の生徒なんか頭も良くて優秀だからいろいろな事が見えてしまう、育ちの良い繊細な子が多くて、さぞつらい事だろうとかんじました。
そしてもう一つは、被災地からかなり離れた盛岡で、被災者率8/280の学校で、これくらいの軽いワークをやって、こうなってしまう(二人が大きな反応)という現実を前にすると、被災地での被災者、特に子供の心のケアなんて、どうするんだろう、という事。私は怖くてできません。心に波風を立てるのは簡単ですが、それで放りっぱなし、というわけにはいかないでしょう?もっと小さなグループで腰を据えてやらないと。そして、この日のプログラムに参加していた岩手県教育センター所属の先生方(スクールカウンセラーとしての勉強をしていらっしゃる)のうち一人が、「私には無理です」と正直におっしゃっていたのが印象的だったし、さもありなん、という気持ちになりました。もちろん「どう声をかけてよいか戸惑う一個人」として生徒と話をすればいいのかもしれませんが。
盛岡で改めて今回の震災の心へのダメージの強さを感じるとともにそのケアの難しさを感じました。最近はまだ一か月しかたたないのに「復興」の掛け声ラッシュ。「がんばれ」の掛け声ラッシュ。まだまだ早いんじゃないですか?被災者は置いてけぼりを食らわされた気持ちになるんじゃないのかな?と感じました。
智田医師は、「がんばれ日本」も良いけれど「You’ll never walk alone(リバプールのサポーターソング)」の方が大切では、とおっしゃっていました。同感。
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